サイコパスの素顔

小説を書いています。映画レビューもしております。

LVII. 都会

 

 サイコパスは、理解できない。

 

 都会という場所に集まる人々。

 その存在はまるで意味不明だ。

 

 交差点に集まる人々。

 日々多くの者が肩と肩がぶつかるすれすれのところを通って歩く。

 

 電車に詰められる人々。

 毎日仕事に向かうために汗と加齢の臭いに包まれ、身動き一つとれずに運ばれる。

 

 サイコパスは、理解できない。

 

 なぜ人々は群がっていくのだろう。

 文明が栄え、人々は一点に集まり、集団組織として生活をする。人と人が密接に関係を持ち、切磋琢磨して成長していく。

 その理屈を理解することはできる。それは人類の歴史を見れば分かることだ。

 

 だが……

 

 サイコパスは、納得できない。

 

 なぜそんなにも近づき合うことができるんだ。

 多くの人が、すれ違う人を、通勤で顔を合わせる人を、それぞれ皆を信用できるわけがない。

 どこの誰だかも分からぬ、何を考えているのかも全く分からない。

 そんな人々をなぜ警戒もせず、皆が一点に集まることができるのだろう……

 

 ――『都会』。

 

 そこは極めて恐ろしい場所だ。自分自身では何もすることなく、自然と人々を呼び寄せる。白人も黒人もアジア人も、人種に関係なく、男も女もそうでない人も、性別に関係なく、教師も医者も弁護士もサラリーマンも、職業に関係なく、常人もサイコパスも、人格に関係なく、『都会』は至って冷静な表情で差別なく誘い込む。

 

 それだけ勝手に人々が集まれば、自ずと人々は暴力的になる。事故や事件、多くの者が傷つき命を失っていく。

 悪の根源である『都会』は涼しい顔をして、人々にとって極めて厄介な危険地帯へと変貌する。だがそれが『都会』の本性であり、人々を苦しめることを糧に何十年何百年と繁栄を続けていく。

 しかし誰も気づかない。いや、気づかないフリをしているだけなのかもしれない。人々もまた野蛮で暴力的な種族である。同じ気質であるからこそ『都会』と『人間』は惹かれ合うのかもしれない。

 

 そう考えると恐ろしくて堪らない……何を信用していいのか分からない……

 

 サイコパスは、都会と人間に怯える。