LXXXVI. 形なき形
整形……形を整えること。
整形にはいろいろな意味があるが、そのほとんどは「ブサイクな顔をキレイにすること」の意味で用いられる。
生まれたときの顔では満足できない……だから整形する。
というよりは、ブサイクが故に虐げられてきたから顔を変える。オブラートに包まずに言えば、そういうことだ。
顔を変える理由は、他人の目が気になるから。
本人が何と言おうが、それが答えだ。
違う、違う……自分自身、今のこの顔が嫌いだから……と言い訳しても、結局のところ、自分自身の顔に嫌悪感をもたらしたのは他人の目だ。
この現実を受けとめなければ、何度顔を変えたって意味はない。
じゃあすべては他人が悪いのか? 整形の理由を作り上げた他人が悪い? 人の顔を面白おかしくイジる他人が悪い?
いや、そうではない。お前が悪いのだ。
周りの目を気にして生きる道を選んだお前が悪いのだ。
もちろん、すべてお前の責任だと責め立てるつもりはない。だが無常なるこの世界において、虐げられる環境を打破することは困難。他人のせいにしてばかりじゃ、解決策など見つからない。
だとしたら、やはりお前が悪いのだ。
もはや整形ごときじゃその歪んだ道を逸れることはできやしない。
結局のところ、変えなければならないのは、お前の考え方だ。
いくら他人の目にブサイクに映ろうが気にするな。自分の顔を自分自身が愛さなければ、一生他人に支配されて生きることになる。
整形でキレイになっても、恋人にその美しい整形顔を褒められても、お前自身を好きになってくれたわけではない。その整形を好んでいるに過ぎないのだ。
そのことに気づかない愚か者ならば、もう言うことはない。好きなだけ整形すればいい。
瞼を二重にしろ。
鼻を高くしろ。
顎を細くしろ。
そうやって形を整えるだけの世界で生きろ。
だがそこに、本当の意味での美しさはない。
誤った美に惑わされ溺れていく愚者の姿が鏡に映るだけ。そんな世界は僅かな綻びで崩れ去る。
形に美を見出すことしかできない世界には、何の価値もない。
そんな世界の住民になりたくないのであれば、考え方を変えるしかない。
何が美しく、何が虚像の美しさであるかを見極める思考が必要となる。
そのためには、まず鏡を見ろ。
映る自分の姿は……ブサイクか? キレイか?
いや、どちらにせよ大した違いはない。
そんなところで立ち止まるな。
そんな目で価値を測るな。
曇りなき眼で、他人がどう見るかではなく、自分がどう見るかを、考えよ。
その先に映る明るさが、美しさが、見えてくるはずだ。
見えないのであれば、お前はまだ分かっていない。本当の美しさが何たるものかを見ることができるまで……自分と向き合え。
心の形を整え、美しくあるのだ。
そのことに気づけた者は永久に美しい。
サイコパスは、そう考えた。