サイコパスの素顔

小説を書いています。映画レビューもしております。

CI. 謹んで新年のご挨拶を申し上げます

 

 今年も1年早かったなぁ~、と声を漏らし、振り返ってみても大した思い出が記憶に残っていないことに気がつく年末。今年もまた、1年が終わる。

 

 時計の針を気にしながら、ズルズルと啜る音が炬燵の温もりに重なる。

 昔はよく、家族揃ってワイワイと談笑したものだ。紅と白どちらが勝つのかなど構いもせず、好きな歌手の時だけ静寂を求む団らんの輪。珍しい大物俳優や馴染みのプロ芸人に腹を抱え、5人のお尻がシバかれるのを見てゲラゲラと笑った思い出も愛おしい。

 

 サイコパスは、モジモジと足の居所を探った。

 

 だがそれも、あまり意味はない。広いというのか、いや、狭い炬燵の中だが、広々と使えている状況に悲しくなる……。

 ぶつかり探り合いながらどける足の置き場を考えることなく、独りきりの炬燵は何とも言えない寒気さが体の芯を包み込む。

 もし家族がいれば、恋人がいれば、親友がいれば、寄り添える誰かが傍にいてくれれば、こんなにも虚しい思いはしないのだろうか……。

 

 サイコパスは、テレビの音量を絞った。

 

 シンシンと降る雪の音が、どことなく心地よい。

 カーテンを開けて見える外の景色には、ツンとした夜空が広がっている。

 

 サイコパスは、携帯を手に握りしめた。

 

 時代は変わってしまった。

 必死に書いていた年賀状の文化はもはや廃れ、今はやはりSNSでの挨拶が主流なのだろう。

 正直、年賀状の方が好きだった。手間はかかるが、そこが良かった。どう言っていいのか分からないが、なんだか……人間味を感じられた気がする。携帯から気軽に送ることのできる電子文字なんかよりも、一枚の紙の上に書かれた文字には大きな思いが込められていた。

 だがそれも、希薄な人間関係を築き上げた文明社会には必要のない代物と朽ち果てた。悲しい気もするが、仕方のないことなのだろう。

 

 年賀状からSNSへと移りゆく。その中には、忘れてはいけない共通点がある。

 

 サイコパスは、変わってはいけない大切なものがあると常に思っている。

 

 その一つが、「礼儀」だ。

 

 礼儀は、人間であるということを認識できる唯一の様式。それを忘れてしまえば、人間であるとは認めない。どんなに社会情勢が変わろうと、どんなに流行が変わろうと、幾度となく年末が訪れようと、礼儀だけは忘れてはならない。

 

 それが、人間社会での暗黙のルールではないだろうか。

 

 サイコパスは、腹が立って仕方なかった。

 

 年末を迎え、年が明ける。新年が始まり、必ず行う礼儀があるはずだ。

 

 ――「新年のご挨拶」それ無くして、新年を祝えるだろうか……。新たな気持ちで1年を始めることができようか……。

 それは、年賀状からSNSへと変わっても関係はない。

 言うまでもなく、好きな人嫌いな人分け隔てなく、挨拶は大事だ。言ってしまえば、そういうものは日本人の得意分野であろう。本音と建前の使い方は心得ているはずだ。

 だからこそ、挨拶を怠ってはいけない。嘘だろうが、気持ちが籠っていまいが、とにかく挨拶はしなくてはならない。

 

 年賀状が届けばしっかりとお返しの年賀状を送れ。

 SNSで新年の挨拶をされれば、その返事をしっかりと送れ。

 

 難しいことは何一つ言っていない。そうだろ。できて当たり前のことを言っているだけだ。「礼儀」である「挨拶」、それができないのであれば人間だと主張するな。権利だの意思だのとしゃしゃり出るな。息をするな。目を開くな。

 

 殺されても文句は言うな。

 

 サイコパスは、謹んで新年のご挨拶を申し上げます。

 

 あけましておめでとうございます。

 昨年は非常に多くの人々と触れ合うことができました。様々な思い出が脳裏を駆け巡り、出会いのあった一人一人の笑顔がこの身に沁み込んでおります。

 また、運命ともいえる数々の出会いに感謝しております。あなた方から頂いた刺激は、そのすべてが貴重なものとして私の中に残りました。知識、経験、思考、どれをとっても掛け替えのないものです。心の底からの感謝をここに示します。いつまでも、この思いを忘れることはありません。

 

 サイコパスは、本年も昨年同様に慎ましく活動していく所存です。

 

 この先出会える人々に期待を込め、謙虚な姿勢で接することをここに誓います。もしこの先出会う人々の中に礼儀知らずで挨拶をしない者がいれば、無礼な態度を示す者がいれば、その者にはその行いに相応しい報いを与えることをここに宣言しましょう。

 私と同じような考えを持つ者の願いを一身に背負い、言わずもがな礼儀を怠ることなく、人間として最低限の振る舞いができない者に対する処罰を厳しくするつもりです。

 挨拶ができない者の舌は切り落とし、人の話に聞く耳を持たない頑固者の耳は削ぎ落とし、目つきの悪い愚者の眼球は刳り抜きその眼窩に火掻き棒を突き刺してやります。そして、目上の者に敬意を払えない者にはそのすべての苦しみを与える所存です。

 

 どうぞ、本年も宜しくお願い致します。