CIII. なぜ
「なぜ」を考えろと親に教わったことがある。
なぜ火は燃えるの? なぜ飛行機は空を飛ぶの? なぜ人は生きるの?
そんな「なぜ」を色々考えて思った。
なぜ、「なぜ」を考えないといけないの?
サイコパスは、ふと疑問に思ってしまったのだ。
学校の先生が教える算数の答え、それに国語の文章読解も、答えは用意されている。そこに「なぜ」を唱えて目を逸らしても、自分なりの答えを主張しても、結局先生は「いい加減にしなさい! 素直になりなさい!」と声を荒げる。
結果的にいつも、「なぜ」怒られるのかが分からない。「なぜ」を考えると「なぜ」先生は怒る? 「なぜ」を考えることは悪いことなの?
だったらいっそ、「なぜ」なんて考える必要、ないように思える。
サイコパスは、そんな苦い過去から答えを学んだ。
友達がすることには黙ってついて行き、先生の言動は正しいものだと迷いなく受けいれる。そうすればきっと、迷惑はかからない。「なぜ」を考えなければ、友達から嫌な顔をされることもなくなり、先生に無視されることもなくなる。
「なぜ」を考えることはダメなことなんだ。
だから、「なぜ」を考えることはやめた。
サイコパスは、「なぜ」を考えることをやめてしまった。
友達が友達を仲間はずれにしていても、それを見て見ぬふりをする先生の冷たい顔も、そこに「なぜ」を考えてはいけない。
だって、正しいんでしょ?
「なぜ」イジメはよくないのかと、「なぜ」嘘をつくことがいけないのかと、大人たちが口を揃えて説いても、それはきっと引っかけ問題。
だって、「なぜ」を考えちゃダメなんでしょ?
社会で起きていることをありのまま受け入れろってことでしょ?
人を騙したり、いじめたり、殺したって、「なぜ」そんなことをしちゃいけないのかを考えたらダメ。現実の社会で起きていることを「なぜ」と疑問視するのではなく、全部正しいと受け入れることが大切。
きっとそうなんでしょ?
「なぜ」人の物を盗んじゃいけないの……。
「なぜ」人を傷つけちゃいけないの……。
「なぜ」そんなことを考えているの?
「なぜ」なんて感じちゃダメ。
そう、ダメなんでしょ?
サイコパスは、もう「なぜ」なんて考えない。