サイコパスの素顔

小説を書いています。映画レビューもしております。

CVIII. 努力は決して裏切らない……とは限らない

 

 人は言う。

「努力をしなさい」と。

 

 人は言う。

「努力をすれば、どんなことでも実現できる」と。

 

 サイコパスは、こう言う。

「努力は決して裏切らない……とは限らない」と。

 

 努力とは、只管に流した汗の結晶であり、それはそれは美しいものである。

 だがその結晶が、確実に良い結果をもたらすということは約束されていない。

 努力とは、万能の代物ではないのだ。

 

 人は言う。

「休まずに励みなさい」と。

 

 人は言う。

「継続は大切なことよ」と。

 

 サイコパスは、こう言う。

「毎日の努力が思い描く結果を生まないことの方が多い」と。

 

 努力とは、それ自体は美しいものだが、誰もが嬉しく思える武器ではない。

 誰よりも強くありたいと願い、誰よりも高みを目指したいと願っても、努力は儚いものである。

 誰もが望むほど、努力は褒められるものではない。

 

 人は言う。

「才能よりも努力をすることの方が大切なことよ」と。

 

 人は言う。

「夢があるなら努力をなさい。必ず叶うわよ」と。

 

 サイコパスは、こう言う。

「才能に勝る努力は存在しない」と。

 

 どんなに努力をしても、才能を持つ者には絶対に勝てない。超えることはできない。

 努力だけに重きを置き、何よりも努力が絶対的なものだと思っている者に才能ある者の背中は見えてこないだろう。

 努力とは、その人の思いを叶える都合の良い道具ではない。

 

 だが……

 

 サイコパスは、こうも言っている。

 

「才能は、誰もが持っている。それがどんな才能なのかはわからないが、必ずある。その才能を見つける為に、人は努力を怠ってはいけない。努力に結果を求めることは愚かなことであるが、才能を探す為の努力を怠る者は愚の骨頂である。自分の才能が運よく見つかれば、努力は途端に尊い存在に思え、才能が見つからなければ、その時の努力は無駄なものに思える。だが、嬉し涙を流す者も悔し涙を流す者も、結果によって2つの意味を持つ努力を成し得た者には笑う資格がある。間違っても誰かに笑われる筋合いはなく、努力を次の努力へと、次の才能の発見に役立てればいい。才能ある者は、それを知っているのだ。すでに努力に努力を重ね、努力という過程に満足するのではなく才能を見つける結果にこだわりを見せ、血と汗を滲ませた者であるからこそ、才能を持つ者は努力をしている最中の者には決して負けない。努力とは、そういうものである」