LXXXV. ヒートショック
お風呂での死亡事故って案外多い。
ウソでしょ、お風呂で溺れる? そんなことあるの……!?
そう思うのも当然かも。
一日の疲れを癒そうとして、自らの意思で入った浴槽で死ぬなんてちょっと可笑しい。「極楽、極楽……」って言いながら気持ちよさそうに死んじゃうんでしょ。
本当にそんなこと起きるのかよ! ってにわかには信じられないよね。
でも、実際にそういう事故は起きてる。
今日では、お風呂での死亡事故は約2万件。交通事故で亡くなる人の3倍らしいの。
そこでね……
サイコパスは、新たな完全犯罪を提案する。
まず初めに、みんなは『ヒートショック』って知ってる?
お風呂で亡くなる人のほとんどがこの『ヒートショック』が起きて亡くなってるらしいの。
簡単に説明するとね……お風呂に入る前に脱衣所で服を脱ぐと寒くて血圧が上がり、温かい湯船に浸かると血圧が下がる。その時の寒暖差による血圧の急激な変化。
それが『ヒートショック』なんだって。
つまりね、寒暖差の激しい冬にこのヒートショックは起きやすい。
それによって、失神や心筋梗塞、脳梗塞を起こして死んじゃうらしいよ。
よし、それじゃあ、本題に入ろう!
殺害方法は至ってシンプルよ!
脱衣所の窓を、喚起を目的として開けっ放しにしておくの。
次に、次というか事前に、湯船にお湯を張っておく。この時のお湯は、気づかれない程度にいつもよりも熱めに設定しておくことが肝心ね。
そしたらもう、準備完了!
今すぐ、じじいやばばあを呼んで来い。
優しい言葉で「お風呂沸かしたので、先にお入りください」とでも誘い出せば、何も疑わずお風呂に入るはずよね。
だって、まさか自分の家のお風呂で殺されるとは思ってもいないもの。
この方法ならば、ムカつく姑も看病の大変な舅も簡単に事故に見せかけて殺すことができる。
わたしって、天才かも!?
まとめてお風呂に入れてやれ!!
サイコパスは、完全犯罪を考えた。
LXXXIV. 時代が親切心を殺す
サイコパスは、今日見た風景をそのまま話す。
電車の中。向かい側に座る女子中学生ふたりが目に入った。
その隣には、おばあちゃん。歳は、おそらく70ぐらい。その隣にはおばあちゃんの息子らしい男性がいた。年齢は30代後半ぐらいだ。
電車が進み始めると、おばあちゃんは隣の女の子に話をかけた。
サイコパスは、何を話しているのか耳を傾けてみた。
すると……話の内容はこんな感じだった。
「お嬢ちゃん、荷物多くて大変だね」
「えっ? あ、はい」
「これには何が入っているの?」
「……習字道具です」
「あぁ、そうなんだ。習字ね。懐かしいわね。……学校はどこなんだい?」
「……××中学校です」
「あぁそうかい……」
一通りの会話がそこで終わる。
すると今度は、おばあちゃんが何かを手に持った。
その何かは、隣の息子らしき男性から手渡された何かだ。
「これ食べな」
「えっ……だ、だいじょうぶ……です」
明らかに女の子の顔が歪んだ。
「遠慮しなくていいんだよ。食べな。ほら、隣の子も」
渋々と受け取る女子中学生。その正体は、キャラメルだった。一つ一つが紙で包まれた四角いキャラメル。
それを貰った女子中学生は困惑していた。
サイコパスは、その光景に感じるものがあった。
知らない人から貰ったものを食べるなんて怖い。でも親切心でくれた食べ物を無下に扱うことは失礼だ。
どうしていいか分からない。
きっと、彼女たちはそんな思いで顔を歪ませているのだ。
そしてその後も、おばあちゃんと息子の一行が電車を降りるまで、話しかけられる状態が続いた。
しかし女の子は次第に顔を下に向けた。突っ伏した顔をバッグにうずめ、できるだけ話を振られないような状況を作り出そうと試みたようだ。
サイコパスは、行き場のない虚しさを感じた。
おばあちゃんが下りた後、ふたりの女子中学生は手に何かを持っていた。
重ねるようにして持つそれには、紙がまとわりついていた。
――キャラメルだ。
彼女たちは、貰ったキャラメルを口にしなかったのだ。
それを大切そうに……いや、汚いものでも触るようにして、指でつまんだ。
そして彼女たちも、次の駅で降りて行った。
おそらくだが、あの親切心の塊であるキャラメルは捨てられてしまうのだろう。
家に帰った彼女たちは、父や母にこう話すのかもしれない。
「今日ね、変なおばあちゃんにキャラメル貰ったの。もちろん食べてないよ。怖くて食べられるわけないじゃん。捨てたよ。そんなもの。何考えてるんだろうね……あのおばあちゃん」
サイコパスは、どうしてか悲しくなった。
おばあちゃんの親切心がゴミとなるからなのか。
親切心が、時代とともに邪魔な存在へと変わることを目の当たりにしてしまったからなのか。
笑顔だったおばあちゃんを想うと、胸が苦しくなった。
他人を疑わないと生きていけない時代に変わり果ててしまった悲しさが、心の奥底に姿を現した。
LXXXIII. 暴食
サイコパスは、パンパンに膨れ上がったお腹をさすった。
お腹を刺激する何かが蠢く。
きりきりと痛むお腹の中から、胃を突き破って出てきそうだ。
もし仮に、お腹の中で共同体となったらどうする? 一つの意識を共有する集合体に化けていたらどうする?
一つ一つの食べ物が、やがて大きな何かに変貌する。
そう考えると、ちょっと……怖くない?
人間てのは、内部からの攻撃に対応できる造りにはなっていないんだ。だからもしこの胃袋の中で息を潜める何かが暴れだしたら、手のつけようがない。
そう考えると、なんか……怖くない?
サイコパスは、箸の動きを止めた。
白米に味噌汁、焼き魚に納豆、オレンジジュース、牛乳、コーラ、ウーロン茶、ハンバーグ、シチュー、焼き鳥、豚カツ、牛タン、焼きそば、うどん、蕎麦、サラダ、ヨーグルト、パフェ、ケーキ、羊羹、ゼリー、プリン……
ヤバい……このままじゃ、殺される。
胃の中で暴れる、食べ物が僕を殺そうとしている。
暴れる食べ物――「暴食」。
胃の中で一つの意識を持ち出した。
散々食らっていた食べ物に殺される。
マズい……このままじゃ。
ダメだ……殺される。
サイコパスは、それでもなお食べ続ける。