XCIX. 法律
法律の勉強がしたくなって、僕は大学進学を選んだ。
高校では理系だったものの、突然法律に興味が湧いてしまったから先生の反対を押し切って文転した。
受験科目がいくつか変わり、社会科目をもう一つ選ばないといけなくなった。
正直、試験3か月前のこの時期に文転するなんて馬鹿なチャレンジだった。
今まで必死にやってきた数学のほとんどが必要なくなり、選んだもう一つの社会科目、倫理を独学で学ぶのは一苦労だった。
でも、大変なことを承知で僕は、法律の学べる大学に進むことを選んだ。
サイコパスは、二度と引き返せない。
どうしても、どうしても、どうしても、どうしても法律を学びたくなってしまったんだ。
だから、悔いはない。
サイコパスは考えた。
法律は、この世界における生存ルールだ。
その法律を学ばなければ、何をするにも行動に迷いが生じる。
「あれ……? これって違法行為なのかな? どうなんだろ? 恐いからやめとこう……」
とか、
「えー、知らなかった! これって違法なんだ。意外と知らないで法を犯してるってことあるんだね……」
だの、
世の中のルールを知らなければ、胸を張って堂々と生きていくことは困難だ。
だってそうだろ。
ルールを知らないのに、思い切りサッカーを楽しむなんてできるわけがない。
だから、僕は……決めたんだ。
法律を学んで、好きに生きるって。
法律を熟知していれば、その分この世の中は生きやすくなる。
それに、法の抜け道だって簡単に見つけられる。
そうすれば僕は、一見違法だと思われるようなことでも自信をもって行える。
賭博、薬物、横領、殺人だって、法の抜け道さえ知っていれば、どうにでもなる。
誰がなんと言おうが好きにやってやる。
僕の思い通りに何でも……
サイコパスは、法学部を目指した。
XCVIII. 恐れるもの
サイコパスは、虚しくなった。
高層ビルの屋上。
空を眺めれば、どんよりとした曇り空が見つめ返してくる。下を覗き込むと、溢れかえる人の集まりが目に入る。
満たされない胸の奥が、うずうずと悶える。
何が欲しいのか、何をしたいのかも分からず、ただだんまりと、遠くを見つめる。
サイコパスは、深いため息をついた。
毎日を生きていても、虚しいだけだ。
働いていても、ご飯を食べていても、感じるのは虚しさだけ。
友達もいないし、恋人もいない。仲の良かった両親さえも、4年前にこの世を去った。
「孤独」……この一言で言い表すことのできない感覚が、今、心を空っぽにしていく。
こんな感覚を抱いたのはごく最近。今までの人生で味わうことのなかった感覚が、唐突に訪れたのだ。
サイコパスは、昔を振り返る。
昔から人との付き合いが好きではなかった。
友達も最小限の人としか付き合わず、集団行動を避けてきた。
好きな人ができても、付き合いたいという欲はまったくなく、わざわざ好きだと伝える必要がなかった。
でも今考えると、だからこそこんな感覚に陥ってしまったのかもしれない。
サイコパスは、深い後悔に苛まれた。
この年になると、昔のような生き方をしていられなくなる……そんな気がする。
友人も作らず、結婚もせずに、今後を考えると……いや、考えなくとも、恐怖が襲ってくる。
それは、孤独に対する不安だ。
一人で仕事をしていても、一人でご飯を食べていても、一人でバラエティー番組を観ていても……一人で生きていることが……虚しい。
虚しくて苦しい。苦しくて虚しい。
孤独が虚しさを生み、故に苦しくなる。
人の気持ちに鈍感で、人の感情を蔑ろにしてきた私でさえも……孤独には勝てない。
虚しくて耐えられないんだ。
サイコパスは、遠くを見た。
もし生まれ変われることがあるならば、もう一度人生をやり直せるならば、こんな思いはしたくない。
一人でいいから、生涯の友を作りたい。
一人でいいから、愛する人に傍にいてほしい。
一人じゃ……ダメなんだ。一人じゃ生きていられない。
サイコパスは、孤独に殺された。
XCVII. 女ってやつは
サイコパスは、ふつふつと湧き上がる憤りを覚えた。
僕は、真面目な青年。勉強と只管に向き合い、運動においても決して手を抜かない。
ただのガリ勉ではなく、何事にもまっすぐなだけだ。
その気質のせいなのか、最近気に食わないことがあった。
どう考えても、筋が通らない無礼な女性の話だ。
サイコパスは、文化祭の準備を請け負った。
あれは、秋に行われる文化祭の準備をしていた夏の時期だった。
僕は、クラス全体に連絡を取った。
「僕たちのクラスは、文化祭で焼き鳥屋を出します。部活の出し物に参加するなどの理由で参加できない者の強制は致しません。つきましては、参加できる旨を連絡ください(期限は、来週の月曜日までにお願いします)。皆さんご協力のほどよろしくお願いします」
文面は大体こんなものだ。いたって普通の内容だ。
サイコパスは、多くの者からの返信をもらった。
返信が早かったのは、やはり男子だ。クラス30人のうち、男子と女子の比率は半々。僕を除いた14人の男子は光の速さで「参加する!」との連絡をくれた。
僕は思った。「早い連絡を心掛けてくれる男子の皆には本当に感謝だ」と。
それに便乗するように、ノリのいい女子の何人かが早い連絡をくれた。普段学校で明るく振舞っているような積極的な女子だ。その子たちにも、感謝しかない。
サイコパスは、安心した。
何かをまとめる仕事……特に人数の把握をしなくてはならない仕事ほど、皆の協力が必要なものはない。迅速な返事をもらわなければ、先に進めないのだ。一人増えるごとに、一人減るごとに、計画は変わっていく。参加する人数から焼き鳥屋を運営する時間帯の割り振りをして、材料費の分割をして、その他諸々、細かな計算は厄介なものだ。
それをすべて僕が一人でやらなければならない状況……苦ではないが、いち早く連絡をもらえないと面倒。
サイコパスは、胸をそっと撫で下ろした。
文面を送ってから2日が経った今、早くも25人の返信が集まったのだ。
だが、約束の期限、月曜日が終わった火曜日午前零時……
サイコパスは、イライラしてきた。
30人中、2人の女子が未だに返信をしてこない……。
サイコパスは、携帯の画面を何度も確認した。
既読の横には29とはっきりした数字が書かれているのに、返信をくれたのは27人。
僕が送った連絡に目を通しているのにも拘らず、何の意思連絡も送ってこない女子2人。
サイコパスは、思った。
「おいっ! どういうことだよ! 参加するのか、しねぇのか……!? はっきりとした答えだせや! ……どっちだよ。無視かよ!」
サイコパスは、夜中にも拘らず、強く胸の中で怒号を放った。
今は夏休み。学校で顔を合わせて文句を言うこともできない。参加するのかどうかの意思確認をするのは困難。直接女子2人の家に出向かないといけない。だがそれは、不可能だ。住所なんて知らない。……それに、めんどくさいだろ。
サイコパスは考えた。
既読がついているのに連絡がない。参加するなら連絡は来るはずだし、参加できない罪悪感から無視を決め込んでいるのではないかと。
僕はそう判断した。
その判断から、文化祭の参加は28人。その人数計算で話を進めることにした。
だが、その2日後。
「人数確認って、すぐに決めたい感じ? 私、参加できる」
こんな文面が、グループの中でなく、個人的に送られてきた。
サイコパスは、携帯を投げ捨ててやろうかと思った。
「ふざけんな! 今更何言ってんだよ! こっちはすでにお前が参加しないテイで話進めてんだよ! はぁ!? “人数確認って、すぐに決めたい感じ?”じゃねぇよ……っ! すぐに決めたいから期限を設けたんだろうが! バカか? バカなのか、てめぇ!」
僕の中で何かが弾け、その勢いのまま……
「はい! そうです。参加できるんですね!? わかりました。連絡ありがとうございます!」
無機物な携帯を通して本音が言えるほど、僕は肝が据わっていなかった。
結局、下出に出てしまった。
女性に強く物事が言えない。それが僕の欠点かもしれない。
はぁ……女ってやつは……。