C. 殺人 ⑩
「ふ~ふふ~ん。ふ~ふふ~~ふ~」
随分と機嫌がよく、鼻歌交じりの細い声が波の音に飲み込まれる。
「ふ~ふふ~ん」
他に聞こえてくる音と言えば、ザク……ザク……と軽快なリズムを奏でる砂の音。
時たま聞こえてくる不協和音は、スコップと貝殻がこすれる音。
「ふ~ふふ~~ふ~」
何度も何度も繰り返す。何度だって何度だって、気の向くままに人を殺してしまう。
でも今回は、少しだけ理由が違った。
いつも殺すのは、純粋な殺意を覚えた者だけ。
今回は例外。言うなれば……正当防衛?
「ふ~ふふ~ん……ふー」
サイコパスは、手の動きを止め、鼻歌もミュートにし、一息つく。
――海は好き。
特に、夜の海は最高。
散らばった星を一つ一つ数えて、キリがないことに気づいた幼少期。その時から自然と、波の音に誘われるように海を眺めていた。
初めては、高校生の秋。
仲が良かった友達が嫌なことをしてきたのがきっかけだった。
どうしてそんなことになったのかは、あまり覚えていない。
覚えているのは、友達の粘液を綺麗に洗い流してくれた海の穏やかさ。
「ふ~ふふ~ん」
冷たかったけど、優しかった。
月光を反射する波の美しさ。そこに感じたのは寛大なる慈愛。
すべてを綺麗にしてくれる。すべてをなかったことにしてくれる。
すべては何も起きなかったもの。
そんな気がして、友達を砂浜に埋めた。
「ふー」
この男も埋めないと。
この男の存在も、この男を殺した事実も、すべては海が洗い流してくれる。
「ふ~ふふ~~ふ~」
この男は毎日、私に会いに来てた。
朝の運動の後のコーヒーが目的の様な雰囲気で来てたけど、私は気づいていた。
いつも私を見つめる瞳。そこには奇妙な殺意が見えた。
でも決してそれは、恨みや憎しみ、怒りから生まれる敵意ではなかった。だから私も初めは不思議だった。どうしてこの男の人は見知らぬ私に殺意を抱いているのかと。
そのことが気になってしまい、仕方なく誘いに乗ってあげた。
「ふ~ふふ~ん」
ふたりだけの空間で話をすることで、私には答えが見えた。
この男、私のことが好きだったみたい。
好きな女性を殺したくなる。殺して自分のものにしたい。そんな風に思っていたんだと思う。
それが、奇妙な殺意の意味だった。
「ふ~ふふ~~ふ~」
それで私は、この男を殺すしかなかった。
好意を抱いてくれたことには感謝する。嬉しくないはずがない。でも殺されるのは嫌だ。簡単にあなたのものになるなんて嫌。
だから私は、悪くない。正当防衛よ。
「ふ~ふふ~ん。……よし」
これでいい。
これでこの男の存在は消えた。
あとは慈愛なる海が私の汚れた手を綺麗にしてくれる。
「はぁ~」
サイコパスは、海の中へと体を沈め、空を見つめ、スコップを突き立てた砂浜に目をやった。
「ね、言ったでしょ。……変だよね? 一人で海に来るなんて」